失敗した翻訳修行

私が翻訳者になりたいと思ったのは、二十歳を少し過ぎたばかりの頃でした。なぜ自分にそういうことができると思ったのか、よくわかりません。本好きだった私は、翻訳作品を読んで、「自分ならもっと面白くかけるのに」と思うことがよくありました。そういうことを考え合わせると、私は英語の能力があったからではなく、日本語の能力に自信があったから、翻訳者を目指したのだといえるかもしれません。

実際、翻訳には、オリジナル言語に通じている以上に、ターゲット側の言語に通じていなければなりません。私の場合は英和翻訳ですから、最もたいせつなのは日本語を書く能力であるといっても過言ではありません。原文の意味不明箇所は調べればどうにか理解できますが、それをターゲットの言語で表現する際には、助けてくれるツールがほとんどないからです。

けれど、それでも最低限度の英語の読解力がなければ、英和翻訳はできません。翻訳者になりたかった私は通信教育の講座に申し込み、週1回のスクールに通いはじめました。それらから得たものがなかったとはいいません。むしろ、多くのものを学ばせてもらったと思います。けれど、どちらの講座のパンフレットにも謳い文句となっていった「成績優秀者への仕事の紹介」には遠く届きませんでした。

一生懸命やったつもりではあるのですが、考えてみれば週1回提出の1〜2ページの文書や数ページの課題翻訳から得られる経験など、物の数ではなかったのでしょう。プロになれば、1日に10ページや20ページの文書をこなさなければならないことなどザラにあります。それだけの分量をこなすから、それだけ早く成長できるわけです。

ですから、プロになるためには、プロと同じぐらいの翻訳をしなければなりません。そしてそれはふつう、できることではないでしょう。少なくとも翻訳者を志望した当初の私には、できませんでした。授業料を払っただけ翻訳修行とは、ちょっと虫が良すぎたのでしょうね。

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