翻訳者は育てられる

私は翻訳者として報酬を受け取る前に修行としてかなり大量の英文和訳を自主的にやったのですが、もちろんそれだけでプロとしてやっていくのに十分なスキルが身についたとは思えません。実際、出版社に持ち込んだ原稿がそのまま本になったわけではありません。印刷入稿前に自分自身で大幅な推敲をしましたし、校正刷り(当時はゲラと言いました)で相当な朱を入れました。ちょうど電子組版が急速に普及しはじめている時期だったので、そういうことも可能だったのです。

このゲラの朱入れで、私は初めてプロの編集者の仕事を見せてもらいました。私自身がそれまでの2年ばかりを編集プロダクションの見習いからの叩き上げで過ごしてきたので、編集者の仕事はひと通り知っているつもりではいました。けれど、私の知っている世界など、広大な出版業界のほんの片隅の特殊なものでしかなかったのだと、改めて思い知らされたわけです。

担当編集者のAさんは(彼は私の終生の恩人の一人です)、英語原本と私の翻訳原稿を丹念に突き合わせ、疑問箇所を無数にゲラにメモしてきていました。そのゲラを間にはさんで、「ここはこの訳でいいんですか?」「ここは原文とずいぶんちがうように見えるんですけど」「この作者はこういうことは言わないと思いますよ」など、その疑問点をひとつひとつ、虱潰しに潰していくわけです。2時間近い打ち合わせが終わったときには、心身ともにぐったり疲れました。

翻訳者として駆け出しの私は、こんなふうにして編集者に育てられました。Aさんだけでなく、他の出版社の編集者でも同じでした。時には誤訳を指摘され、「私よりもこの人のほうが翻訳に向いているんじゃないか?」と悲観的になったりもしたものです。けれど、問題はそういうことではありません。翻訳者と編集者、役割がちがうのです。翻訳者は横のものを縦にするのが仕事であり、編集者はいい本をつくることが仕事です。それぞれの仕事でベストを尽くす中で、結果として翻訳者は編集者に育てられるのです。

私は書籍翻訳の世界に長くはいませんでした。翻訳者としては長いブランクを経て実務翻訳の世界に入り、いまは自分自身で翻訳するよりも他の翻訳者の仕事の品質管理をするほうが多くなりました。私よりもずっと優れた翻訳者の仕事をチェックしながら、ときには重箱の隅をつつくようなコメントを入れて返したりもします。自分自身が勉強させてもらいながらも、翻訳者にもっと高みを目指してもらいたいのです。

切磋琢磨こそが、高品質をつくりあげていくのだと思います。


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