英語は苦手

乗り越えられないネイティブの壁

何が悔しいといって、アメリア人やイギリス人に「英語がお上手ですね」と褒められるほど悔しいことはありません。それは、私の話す英語が決して生まれつきのものではないことをはっきりと教えてくれるからです。いえ、それはわざわざ指摘されなくてもわかります。言いたいことがそのままスラスラと出てくるかといえば、とてもそうはいきません。理解しようと努力する相手の困惑した顔を前にしながら、どうにかこうにか、当たらずとも遠からずの表現をひねり出してしゃべるのがやっとのところでしょう。

これが限界だと言うつもりはありません。地道に努力を続ければ、もう少しは英語がうまくなるでしょう。けれど、乗り越えられない壁がどこかにあるのはまちがいありません。私はこの先、どこまでいっても「外国人の英語」以上の英語はしゃべれないでしょう。

正直に言いましょう。私は英語が得意ではないのです。TOEICで900点台を取った実績があるとしても(ちなみにネイティブスピーカーでも満点の990点をとるのは難しいそうです。もちろん満点をとる人もいくらでもいますが)、どんな難しい内容の論文でも英語で書かれている限りは理解する自信があるとしても、やはり英語は私にとってどこまでも外国語です。自分にとっての「異質な感覚」は、登場人物が英語で会話を続ける夢を見るようになってからでも抜けません。そしてその違和感は、話し相手から見ればぎこちなさとして現れます。たどたどしさになってしまいます。結果、「英語がお上手ですね」というお世辞を引き出してしまいます。

それを自覚したうえでなお、英語を生業としています。翻訳という仕事、決して「生まれついての英語スピーカー」でなくてもできると思うからです。

→   1