自動翻訳がやってくる日

この記事は、2010/03/23にポストしたものの再掲です。

ついこのあいだ、最近愛用のブラウザGoogle Chromeを立ち上げてびっくりしました。「これは英語のページです。翻訳しますか?」というメッセージが表示されたのです。私は、商売柄外国のサイトをよく訪問します。実際、英語圏の情報をより正確に知るために、ブラウザの設定もデフォルトを英語にしているほどです。そんな関係で訪れた英語サイトのページを表示したときに、そういうメッセージが表示されたわけです。

おそらく、Google Chromeの最近のアップデートで、翻訳がデフォルトになったのでしょう。Googleの翻訳機能は以前からありました。だから驚くことではないのですが、以前よりも積極的に翻訳機能の提供をしようというのは、Googleもかなり自信をつけてきたのでしょう。

私としては、どれほどGoogleの翻訳機能が優れていても、原語で読まなければ商売上の役には立たないので、この機能をすぐにオフにしました。ただ、どの程度実用的になったのかはちょっと気になったので、あとで改めて別のマシンで試しに使ってみました。結論からいえばまだまだ実用レベルとは程遠く、ちょっと安心させられるレベルでした。少なくとも英和翻訳に関しては、まだまだ私の翻訳者商売を脅かすほどのものではありません。

ただ、こんなふうにしょっちゅうGoogleの翻訳機能の進化を私が気にしているのは、理由のないことではありません。いつか、それもそう遠くない未来に、必ず自動翻訳は人間の精度を追い越すだろうと確信しているからです。たとえまだまだ意味不明の文章を返すだけの能力しかなくとも、これは必ず進化します。進化のスピードは遅くとも絶対に後戻りはしませんから、いつかは追いつき、そして追い越すだろうと思うのです。

たとえば、英語圏のこんな記事(ニューヨークタイムスのオピニオン欄の寄稿者である翻訳者が書いているようです)には、Googleがどんな発想で翻訳エンジンに取り組んでいるのかがわかりやすく説明してあります。この説明は、かねがね私が自動翻訳はどうあるべきかと主張してきていることとほぼ同じような内容です。つまり、Googleは正しい方向を歩んでいるのです。実際、似たような発想(つまり、言葉を単語を文法でつないだものとかんがえる演繹的な方向ではなく、既にある大量の言葉をデータベースとして参照しようという帰納的な方向)は、この業界では常識になっているようで、たとえばこんな会社の自動翻訳ソフト(2015年時点でリンク切れ)なども、そういった思想で組まれているように見受けられます。

けれど、前述のニューヨークタイムスの記事は、結論としては「やっぱり機械は人間にはかなわないよ」という楽観論で括られています。甘い、と私は思います。翻訳がクリエイティブな商売であることは否定しません。けれど、コンピュータのソフトウェアだって、クリエイティブな人間のクリエイティブな作品です。クリエイティビティの正しい手順さえ組み込む才能があれば、ひとつひとつの文章の置き換え作業にまで創造性を発揮する必要はなくなるはずです。

だから、私は翻訳商売はいつか突然に成り立たなくなると思っています。自動翻訳が実用レベルに達した日が、そのときです。そして、それは確実にやってきます。

けれど、私は悲観はしていません。というのは、翻訳が仕事として成り立たなくなっても、世の中に人間の創造性が不要になることはないと思うからです。翻訳が仕事として成り立たなくなるころには、別な商売で、翻訳で培った創造力が活かされるようになるでしょう。そこまでの展望をもって、この仕事に励みたいと思うこの頃です。


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