正確な翻訳とは?

この記事は、2007-12-06 11:05:15 amにポストしたものの再掲です。

しばらく前、あるお客さんと話していて、「翻訳にはどんなことに気をつけていますか?」と質問されました。私は、「正確に翻訳することです」と答えました。

このお客さん、英語圏の出身ですが日本でビジネスを創業されているということで、おそらく翻訳の苦労はよくおわかりなのだろうと思います。けれど、おそらく念を押す意味で、さらに、「正確に翻訳するとはどういうことですか」と質問を続けられました。

「読者が原文を読んで感じることと、同じことを翻訳文の読者にも感じさせることです。たとえば、(と、私はそこにサンプルとして置いてあった文書を手に取り)、私はこの文章を読んで、非常に知的興奮を覚えました。そしてずいぶんとそのテーマについて考えさせられました。同じような知的興奮を読者に与えることができなければ、私はその翻訳は不正確であると考えます」

このお客さん、我が意を得たりとばかり頷きました。

こういう意味での正確性は、equivalentという概念で説明されます。英語と日本語は、全く異なったものですから、英語で書かれたものと日本語で書かれたものが等しいということはあり得ません。しかし、翻訳とは、原文と等しい翻訳文を作り上げる作業として依頼されるものです。では、この場合、何が等しければいいのかということが問題になります。それは、文章によって伝達される情報です。そして、情報が等しいかどうかは、その情報の及ぼす効果が同じであるかどうかによって判定されます。効果が同じものはvalueが等しいと考えられますから、文字としての情報は決して等しくはない原文と翻訳文は、このvalueが等しいことによって正確性を担保されるわけです。

では、valueが等しければそれだけで正確な翻訳といえるのか。valueさえ等しければ、翻訳文は原文といくら離れても構わないのか。私は敢えて、「そうだ」と言います。けれど、この「valueさえ等しければ」というのは実際には翻訳文が原文と離れることを許さないものです。原文を無視した翻訳が、同じvalueを読者に与えるはずはないからです。原文と同じvalueをもつためには、翻訳は原文に忠実であらねばなりません。しかし、これは逐語的に忠実であることとは違います。逐語的に忠実であることがかえって原文のvalueを失わせるような場合には、原文を思い切って離れるような工夫が必要になるからです。

私が「直訳」「意訳」という捉え方をできないのは、こういう考えがベースにあるからです。「正確な翻訳」は、逐語的な正確さのみを意図した「直訳」ではあり得ません。しかしまたそれは、原文を大づかみにして全く新たな表現を試みる「意訳」であってもなりません。「直訳」や「意訳」を考えることが、既に正確な翻訳からの逸脱だと思うのです。原文をあくまで尊重し、その文字面にとらわれない意味を一つ一つ当てはめていく作業こそが正確な翻訳です。では、どのように原文を尊重すべきなのか。そのあたりは、別の記事で書かせていただこうと思います。


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