「ハリー・ポッター勝手に翻訳」に思う

この記事は、2007-08-10 5:47:06 pmにポストしたものの再掲です。

ニュースによると、フランスで、高校生がハリー・ポッターシリーズの最新刊を、出版からわずか数日後にフランス語に翻訳し、Webにアップロードした件で事情聴取を受けているということだ。実物を見ていないし、見てもフランス語はわからないので確認はできないが、「プロ級」の品質ということ。これはすごい。

もちろん、著作権法上、この行為は完全にアウトだ。これまでの、そして少なくともこれからしばらくの間のあらゆる法制度や常識に照らしてこれが違法であるということを前提にして、それでもこの報道には少なからぬ興奮を覚える。

というのは、もともと文学作品の翻訳なんて、その作品を好きな人が手塩にかけてやるべきものだと思うからだ。出版や、その後に関係してくる印税や著作権の話は、決して重要ではないとはいわないが、本来は二次的なものであると思う。

私が初めて翻訳で報酬をもらったのが、実はこの「勝手に訳した」文学作品だった。好きな作家の気に入った小説を自分の勉強のために翻訳していたら、たまたまそれがある偶然から出版されることになった。そんな偶然は、めったにないだろう。私は実にラッキーな男である。

しかし現代では、(もちろん違法行為ではあっても)、「勝手に訳した」作品をWebという手段を使って公開することができる。そして、その質が高くスピードが早ければ、「プロの翻訳者なんてなんのためにいるの?」ということになる。プロは、高品質とスピードが売り物のはずだ。現代では印刷にかかる時間はほんのわずかだから言い訳にならない。自分が訳しきらないうちに素人に出し抜かれたとあっては、翻訳者の面目は丸潰れ。

現代の制度上の縛りからすぐに変革はおこらなくとも、こんな事件に変革への息吹を感じるのは私だけだろうか。翻訳なんていくつあってもいいし、互いに競い合いながらもっと優れた翻訳が現れる下地をつくっていけばいい。それでは翻訳者は食っていけなくなるが、なにも翻訳者を食べさせることがそんなに重要なわけでもなかろう。ことに文学作品の場合など、その翻訳に情熱をかけられる人が最適任の翻訳者だ。それは一ファンである高校生であってもかまわないと思う。

これほどインターネットが普及し、これほど視野が世界に開かれた時代、やがて翻訳の常識は変わっていかざるを得ないと思う。文学作品の世界にもオープンライセンスのようなものがきっと現れてくるだろう。私の商売はなくなってしまうかもしれないが、長く翻訳にかかわってきた者として、こんな予感にわくわくするのを禁じ得ない。


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