サリンジャーの思い出

この記事は、2010/02/01にポストしたものの再掲です。

「ライ麦畑」で有名なサリンジャーが亡くなったという報道がありました。たぶん私は、熱烈なサリンジャーのファンではありません。それでも、サリンジャーにからんだ思い出がないわけではありません。今日はそんなことでもひとつ。

現在私は英語商売で食いつないでいるわけですが、もともと英語が得意だったわけではありません。高校生のときは英語の成績が悪く、そのおかげで落第しそうになったことさえあります。だから、勉強という意味では、英語は嫌いでした。

しかし、その一方で、本を読むことは好きでした。ですから、翻訳書を読んだときなど、「原文はどんなふうになっているのだろう」と思うことがよくありました。そこで、大学生になって受験勉強をしなくてよくなったのを機に、「ひとつ、英語の本でも読んでやろう」と思って、書店でペーパーバックを買ってきました。

けれど、当時の義務教育6年間の英語では、とても普通の小説を読みこなすことはできません。結局は、子ども向けのリライトものを読むのがやっとでした。

ところで、乱読を続けていた日本語の本、主に文庫本の小説の中に、サリンジャーの「ナインストーリーズ」がありました。これがいたく気に入った私は、この作家の代表作である「ライ麦畑でつかまえて」をぜひ読みたいものだと思いました。

ところが、この本は当時は文庫版がなく、お金のない大学生にはなかなか買えるものではありませんでした。いまなら図書館で借りるというような知恵もあるのですが、その頃の私はどういうわけか「本は買うもの」という発想が抜けきれなかったため、どうしてもこの本を読むことができませんでした。

ところがある日、古本屋のディスカウントの箱に、原書であるThe Catcher in the Ryeのペーパーバックを見つけたのです。確か300円でした。さんざん迷った私は、これを手にレジに向かいました。あれほど読みたかった「ライ麦畑」です。頑張れば何とかなるかもしれません。

そして、この300円を無駄にしたくなかった私は、無理やりにもこのペーパーバックを読み通しました。初めて英語で読み通したまともな小説でした。

以後、どんどんペーパーバックを読むようになったのは、たぶんこのときのことが自信になったのでしょう。そうやって何冊も英語の小説を読むうちに、「自分には翻訳ができるのではないか」という大それた思いが生まれてきました。そして紆余曲折の末に、いま、こうやって翻訳商売をやっているわけです。

大げさに言うなら、サリンジャーは、翻訳者としての私の出発点だったのかもしれません。その恩人が亡くなりました。冥福を祈らずにおれません。


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