翻訳のコツ

「自然な翻訳」を心がけているわけではありません(総論1)

この記事は、2009-09-12 4:33:05 pmにポストしたものの再掲です。

世の中には、奇妙な翻訳が溢れています。かつては、一般に市販されている翻訳書のなかにさえ、山のように奇妙な言い回しがありました。いまではさすがに出版物でそこまで質の低い翻訳に出会うことは少なくなりましたが、ウェブ上ではまだまだ首をかしげたくなるような翻訳に日常的に遭遇します。これは、一般的な翻訳のレベルが上がる一方で、翻訳物の量が飛躍的に増大していることからきているのでしょう。機械翻訳は論外としても、翻訳者の数が増えれば、それだけ質の低い翻訳者の数も増えるというわけです(もちろん質の高い翻訳者の数も増えるわけで、これに関しては私も感心させられ、学ばされる機会が少なくありません)。

こういった奇妙な翻訳をさして、「不自然な翻訳」と一括りに呼ばれることがあります。なるほど、これらの翻訳文はお世辞にも自然な日本語とはいえないのですから、「不自然な」という形容がされる理由がないわけではないでしょう。

けれど、私は、翻訳を「自然な翻訳」と「不自然な翻訳」に分けてしまうのは誤っていると思います。なぜなら、何を自然に感じ、何を自然に感じないかは、その文章がどのような文脈で用いられているかによって大きく変わるからです。

たとえば、特許の出願書類は、実に奇妙な言葉で書かれています。たとえ日本語で書き下ろされた書類であっても、こういった文書を日常的な状況で読んでそれが「自然な日本語」だと思う人はほとんどいないでしょう。しかし、特許の出願という限られた状況においては、この特殊な書き方が自然だということになります。そして、翻訳もそういった特殊事情を勘案した上でおこなわれます。ですから、特許の翻訳は恐ろしく不自然な日本語に見えますが、実はこれがその文脈においては自然なのです。素人の翻訳した特許文書は一目でわかりますが、それは、「自然さ」が、実に不自然に感じられるからなのです。

ですから、翻訳の善し悪しを「自然かどうか」で判断するべきではないと私は思います。そうではなく、翻訳の質は、それが正確であるかどうかで判断されるべきだと思うのです。

こんなふうに書くと、厳密な正確さばかりを追い求めてぎすぎすした翻訳ができあがるのではないかと思われるかもしれません。しかし、実際にはそうではありません。正確さの追求は、読みやすさを生み出します。正確なあまりに読みにくくなってしまったように思える翻訳は、実際には正確さの追求がまだまだ不足しているのです。

翻訳の目的は、原文の意図をできる限り正確に日本語に置き換えることです。問題になるのは、原文の意図であり、構文や単語ではありません。多くの読みづらい翻訳は、原文の単語や構文にひきずられ、原文の意図を正しく反映しないものです。原文の意図を反映しないからこそ、読んでもわからない、不自然に感じられる翻訳文ができあがるのです。

ですから、多くの場合、正確さを追求すれば、自ずと翻訳文は「自然な」ものになるのです。そしてその場合の自然さは、それぞれの状況に適切な自然さです。正確な翻訳こそが翻訳者の目指すものであり、自然な翻訳を目指すべきではないという理由がここにあるのです。


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