あと10年、それでも10年

この記事は、2007-07-05 11:04:06 pmにポストしたものの再掲です。

翻訳の仕事もあと10年かなあと思います。Googleはあと数年で完全な人工知能を作るといっているそうだけれど、コンピュータが進歩していけば、まちがいなく翻訳は自動化されるでしょう。そうなったら、翻訳で食っていくことは非常に困難になるはずです。

ちなみに、現在の自動翻訳にしても、かつてのプログラムからはずいぶん進歩しました。商品レベルに仕上ることは基本的にはありませんが、英語の読めない人が参考情報程度に参照するのなら役に立つレベルには達してきています。もちろん全く意味のとれないものも少なくありませんから、現状ではまだまだ翻訳者の仕事が脅かされることはありません。しかし、遠からず、より完璧な翻訳プログラムが完成するだろうと思います。

というのは、自分自身が翻訳をする際に頭の中で行っている作業をシミュレートしてみると、それはけっこう単純なものだからです。確かにそれは単語の自動置換や、単純な構文解析だけではありませんが、コンピュータの理解できない「精神活動」のようなものではありません。この程度の作業をプログラム化できないようであれば、それはプログラマーの怠慢か、頭の中を公開しない翻訳者の秘密主義によるものでしょう。

現在の自動翻訳で欠けているのは、文章をブロック化して理解することと、前後関係の把握でしょう。少し長い文章になると主語と述語を間違えて翻訳しますし、「文脈からいってこのitはどうみてもこっちでしょう」というところで別の意味に解釈してしまいます。けれど、自分がひとつの文の中で主部や述部をどのようにみつけているかとか、前後関係をどのように把握するかということをシミュレートすれば、ごくあたりまえのことをやっているだけです。要は、いくつもの可能な解釈を並列させ、その中からいちばん無理のないものを選択するだけです。そして、この「無理がない」というのは決して高度な判断ではなく、かなり単純なものです。数値化だってできるような気がします。

そして、翻訳の作業で最後に頼りになるのは用例です。私がまだ駆け出しのころには、「辞書は用例で選びなさい」と指導されたものです。項目数の多寡ではなく、用例がしっかりしているかどうかが、翻訳においては決め手になります。特に英文を書く際には、用例に助けられたことが数知れません。

そして、コンピュータこそが、この用例検索に最も長けているのです。現代では、用例で辞書を選ぶ必要はありません。なぜなら、インターネット検索でいくらでも用例を探し出してこれるからです。2つの使用可能な表現があった場合にどちらを選ぶか、私が現在採用している方法は、それぞれのフレーズをGoogleで検索し、ヒット数の多いほうを選ぶことです。もちろん一方が映画のタイトルになっているとかいった特殊事情があれば検索結果は偏りますので、そのあたりは割り引きます。そういった特殊事情さえなければ、この方法は相当に有効です。そして、こういった機械的な方法は、それこそコンピュータが最も得意とするものでしょう。

だから、私はあと10年と思っています。もちろん、いまでもガリ版職人が存在するように、20年たっても30年たっても、職人技の翻訳者は存在するでしょう。「小説はやっぱり機械じゃダメだね」なんてことが、百年後にもいわれるかもしれません。けれど、実務的な翻訳、企業がお金を払ってくれるような翻訳で食べていくつもりなら、まああと10年でしょう。

インターネットの発達のおかげで翻訳者の需要はむしろ増え、翻訳の仕事もやりやすくなりました。だから、翻訳者にとっては、いまがいちばんいい時代かもしれません。古くからの翻訳者や翻訳エージェントの方には「むかしはよかった」式のことをおっしゃる向きもありますが、私個人としては、いまが旬かなと思っています。


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