原文にあたることの重要性とInternet Archive

この記事は、2009-07-23 2:14:03 pmにポストしたものの再掲です。

先日、「「みんなは一人のために」という嘘と新訳」と題されたブログ記事(2015年時点でリンク切れ)を目にしました。要は、「All for one, one for all.」あるいは「One for all, all for one.」の解釈が一般に言われている「一人は万人のために、万人は一人のために」とは違うのではないかという提起です。記事を書かれたのはビジネスコンサルタントの方らしく、ビジネス的な視点では、別な解釈もおもしろいでしょう。しかし、歴史的経緯からいえば、やはりこれは「一人はみんなのためにみんなは一人のために」以外の何者でもありません。

ただ、この短い英文にそれ以外の解釈が許されないのかというと、そうではありません。記事中ではoneを「勝利」としていますが、そういう文脈もあるかもしれません。ただ、記事では出典を「三銃士」であるとし、「誤訳である」とした別記事を引用していますので、ちょっと気になります。ひとつの解釈が正しいことと、それ以外の解釈が誤りであることの間には相当な開きがあります。上記のように一般的には伝統的な「一人は万人のために、万人は一人のために」で問題ないのですから、特に気になります。

こういう場合には、原文にあたるのがもっともよいでしょう。あいにく本当の原文はフランス語ですので、次善の策として英文にあたってみることにしました。

こんなときに力になるのがInternetArchiveです。古典作品はほぼここで見つかると考えて過言ではありません。デュマの「三銃士」も、簡単に見つかりました。

http://ia331339.us.archive.org/1/items/thethreemusketee01257gut/1musk10.txt

ここで原文の文脈を見ると、この台詞、ダルタニャンがボナシュー氏を官憲に突き出した後、その行動に異を唱えたポルトスに対する説明の中に出てきます。ポルトスが「銃士が手をこまねいて無辜の男が連れ去られるのを見ているなんて」と憤慨するのをアトスとアラミスがたしなめたところで、ダルタニャンが説明としてこの言葉を持ち出すのです。となると、確かにAll for oneの翻訳は「万人は一人のために」ではなく、「全ては一つの目的のため」でなければ辻褄があわなくなります。

では、この「一つの目的」とは何でしょう。これを理解するためには、さらに遡って物語を読まねばなりません。物語では、ボナシュー夫人を救出することをダルタニャンが主張しますが、それはつまり、王妃を枢機卿の魔手から救うためだと説明されています。つまり、「一つの目的」は、「勝利」であるのかもしれませんが、もっと具体的には「王妃」なのです。つまり、All for oneは、「全ては王妃のために」。

一方、One for alloneは、ここでダルタニャンがとったとっさの行動のことでしょう。ひとつひとつの行動が、全体の計画を叶えるためのものだというわけです。つまり、これは前半とほぼ同じ意味を繰り返していることになります。

注意してみると、ここでの「All for one, one for all.」 一般に使われている「One for all, all for one.」を巧みにひっくり返していることがわかります。この構文ではひっくり返しただけでは意味は変わらないのですが、物語の文脈でははっきりと上記のように別の意味になります。

あるいは、「三銃士」の方が先で、互助精神を表した「One for all, all for one.」がこれを巧みにひっくり返したのかもしれません。歴史の細部まではわかりませんが、「三銃士」の用いられ方が、通常は正しい「一人は万人のために、万人は一人のために」とは違っていることが確認できました。

ただ、「誤り」とするところまではいかないかもしれません。というのは、ダルタニャンの説明のあと、これに感銘を受けたアトスとアラミスが、これを4人の絆を象徴するモットーとして誓いを立てようと提案します。この場面では、ひょっとしたら「一人は全員のために、全員は一人のために」があてはまるかもしれないからです。

いずれにせよ、古典を出典とするフレーズは少なくないものです。ときには原典にあたることが重要であり、そのためにはInternet Archiveの利用が簡便だというお話でした。



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