「下訳」という誤解

翻訳事務所をやっていると、ときとして「下訳でいいから使ってください」と翻訳者志望者がやってくることがあります。というよりも、ありました。最近ではそういう話も聞きません。おそらく、「下訳」という概念がそろそろなくなりつつあるのだろうと思います。結構なことです。

この「下訳」という仕組み、かつて、多忙な翻訳者の先生に仕事をさせるため、駆け出しの翻訳者に一通りの訳をさせ、それに先生がチェックを入れ、必要に応じて表現を改めて最終原稿とする、という出版業界の一つのやり方でした。どれほどの割合の出版物が「下訳」を利用していたのか知りませんが、それほど多くの割合ではなかったはずです。1980年代にある有名翻訳者が「私は下訳を使いません」と言っていたのを聞いた記憶がありますし、その他にも下訳に対する否定的な意見を言っていた翻訳者がいたのも覚えています。その一方、私の共訳者で下訳を使っていた人がいましたから、そういう慣行がなかったわけでないのもまた事実でしょう。特に、作家や大学の先生など、ネームバリューで本が売れることを理由に起用された翻訳者は下訳を使うことが多かったのではないかと推測します。言い換えれば、自分自身の能力で翻訳者となった人は、基本的に下訳を使わなかったといえるのではないでしょうか。

というのは、下訳がまず使えないからです。上記のようにある共訳書で共訳者が下訳を使ったのですが、このとき、結局その下訳を元にした翻訳は、出版原稿としては一切使えませんでした。出版直前に内容がガタガタであることが判明したため、担当編集者と私は相談して全て一からやり直しました。だから、名義上この本は共訳ですけれど、実際には私の単独の翻訳です。「下訳者がいい加減だったから」というのが共訳者の言い訳でした。いい加減な下訳を下敷きにしてもまともな翻訳ができないことを、私はこのときに知りました。

実務翻訳の世界では、ネームバリューで翻訳者が起用されることはありえません。ですから、「下訳」が原理的にありえません。それでもなかには自分のことを下訳者だと勘違いしている翻訳者もかつていました。うっかりとそういう翻訳者を起用してしまうと、訳文の修正に無限の時間をとられます。そんなことなら、最初っから自分で全て訳すほうがよっぽど短時間で質のいい仕事ができます。ところどころ出てくる勘違いをチェックする程度で済めば、それは「下訳」なんかじゃありません。立派な納品物です。最も優秀な翻訳者でも、たまには勘違いをするものですから。全面的に書き換えなければならないような程度なら、最初っから役に立っていないのですから「下訳」でさえありません。

つまり、「下訳」なんて、本来は存在し得ないものなのです。たまたま過去には英語がわかっていない有名人を名義上の翻訳者としなければならない出版界の事情があったから「下訳」という特殊な仕事が発生していただけです。それを「下訳でもいいから」というのは、完全な誤解の上に成り立った言葉であると言い切ってかまわないわけです。そういう誤解が世間に減ってきたようで、まずはめでたしかなと感じています。

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