Transcreateという考え方

この記事は、2010/04/16にポストしたものの再掲です。

「翻訳」は、英語のtranslateの翻訳語です。translationは、語源的には「越えていく」ことであるらしく、つまり言語の壁を越えて意味を伝えることです。

一方、「訳」は、やまとことばの「わけ」であり、意味を説明することにあたるでしょう。だから「訳」だけでも十分にtranslateの意味になると思います(ちなみに英語の語源的にいえば、「訳」はむしろparaphraseになるのかもしれませんが、あまり深入りするのはやめておきます)。そこにあえて「翻」の語を加えたのは、先人の知恵でしょう。「翻」は「ひるがえる(す)」ということです。横に書いてあるものを翻して縦にする過程で、原語の解釈と再構成がはいってきます。その作業を、「翻」という語で表現したのかもしれません。

「翻」の字を「解釈と再構成」だと考えるなら、明治期によく行われた「翻案」の意味がはっきりします。これは、外国の文学作品の設定やあらすじを使いながらつくられた日本の作品です。「案」(アイデア)を「解釈と再構成」したものが、翻案作品なわけです。現代なら「二次創作」と呼ばれるようなこんな作品を、かつては高名な文学者がやっていたわけです。

ともかくも、翻訳には、「解釈と再構成」の作業がつきものです。この作業はクリエイティブなもので(「だからコンピュータにはマネできない」という議論が多いのですが、これに対しては私は自分なりの反論があります)、だからこそ翻訳という仕事がおもしろいわけです。

さて、一方の英語圏では、最近、transcreateなる言葉が使われはじめているようです。まだまだ一般的に使われるところまではいっていないようですが、例えばウェブサイトのローカライゼーションなどでこの言葉が使われるようです。つまり、「translationでは使えるサイトにならない。transcreationが必要だ」という具合です。単純な翻訳では、訴えかけるサイトは構築できないというのは、確かにその通りだと思います。

ただ、ここで思うのです。日本語の「翻訳」には、既に「翻」の字、つまり「解釈と再構成」が含まれています。もともと、単純な言葉の置き換え作業ではないのです。そう思うとき、「翻訳」は、translationだけでなくtranscreationの意味も包括する、より幅広い言葉なのかなと思いました。

ずいぶんむかしには、「翻訳」の言葉を嫌った「超訳」などという言葉を好んだ出版社もありました。あまり言葉を濫造するのも考えものではないかと、そんなふうにも思うこの頃です。


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