新着記事‎ > ‎

敬語の役割

2015/06/16 21:40 に Jun Mazmot が投稿
ずいぶんと気づくのが遅かったのですが、最近になって、日本語の特徴のひとつとされる敬語の文法的な役割を改めて意識する機会がありました。
日本人にとって敬語はあまりにもあたりまえな存在です。学校教育で「謙譲語、尊敬語、丁寧語」の分類を習いますし、「敬語がきっちりできていない若者はけしからん」といった言説に表されるように主に社会的秩序の維持の道具もしくはその反映として認識されているようです。これが日本語文法に深く組み入れられ、日本語の論理構造を形成するために用いられていることは、少なくとも学校教育では習わないし、日本語を使っていてもほとんど意識しないことです。だから私も、いまごろになってようやく「なるほど」と思った次第です。

このことに気づいたのは、日本語のひとつの特徴とされる主語の省略について考えていたときでした。日本語には、助詞「は」がついた初出の主語が、その後に助詞「は」が出てくるまでは句読点を超えて主語であり続けるという法則があります。これはなめらかな文章を書くためのひとつのコツであり、このコツを無視すると主語が混乱したり、同じ主語を何度も繰り返して読者をいらいらさせたりすることになります。なるべく主語が揃ったかたちで文章をつないでいき、その上で重複する主語をできるだけ省略するのが美しい日本語の書き方です。
そして、初出の主語でさえ、省略することが可能です。さらに古文では、文章の途中で明らかに主語が変わっているのにそれが省略されているという乱暴なことさえ起こります。そこで「日本語の論理構造はなっていない」と文句を言うこともできるのですが、重要なのは「明らかに主語が変わっている」という事実を、日本人であればほぼ間違いなく読み取ることができることです。主語が変化したことがはっきりとわかるから、あえてそれを書かずに省略することが可能なのです。
では、なぜそれがわかるのかといえば、敬語の使い方が変化するからです。謙譲語で書かれていた文章が途中から尊敬語に変われば、そこで主語がその場の下位者から上位者に変化したことがわかります。日本人であれば場の下位者と上位者を判別する基本的な方法は身についていますから、敬語を追っかけていくだけで主語の変化は容易にトレースできます。だからこそ、「主語の省略」が可能になるわけです。

つまり、敬語とは、単なる社会関係の表現ではなく、文章の論理構造を組み立てていくうえでの重要な文法規則であるわけです。年長者が敬語の乱れを嘆くのは、自分が尊敬されないことを嘆くのではなく(まあ、そういう部分もあるでしょうが)、敬語が正しく使われないために相手の論理構造が読み取れなくなるからです。ただ、その際に、若い世代が日本語の論理構造を利用していないのかといえば、おそらくそうではありません。別な要素を活用することによって、従来とは異なったキーを使って「主語の省略」をはじめとする日本語的な論理を組み立てているのだと思います。言葉は時代によってどんどん変化を続けます。けれど、日常に深く根を下ろした論理構造は、なかなか変わらないものではないかと、そのように思うこの頃です。
Comments